明治42年、植松与作により個人創業。漬物や味噌などの販売から始まり、次第に茶の取扱いへと移行していく。当時の日本茶は生糸に次ぐ日本輸出品の花形産業、静岡・清水港を拠点としアメリカやアフリカ向けにその大半が輸出されていた。一方、国内では日本茶はまだ一般的でなく、上級民の嗜好品としての色合いが濃い時代である。
昭和に入り茶が日常化するに伴い、次第に国内向けにシフト。国内消費が増え、茶園の整備や製造の合理化、品質の安定化が課題となる中、先がけて製茶総合仕上機、最新の製茶ライン、合組機などを導入。いち早く高品質保持に取り組み始め、安定した製造体制と茶の目利き・合組の技術を軸に販路を拡大、静岡茶の全国拡大の役割を担っていく。
平成に入り植松製茶から静岡茶通亭へ改称。会社移転を経て事業を拡大、仕上加工・充填・冷蔵設備を増設する。新たに導入された最新鋭のマイクロ波遠赤焙煎乾燥機は、現在に至る「茶通亭の味」を形作ることとなる。
「茶通亭にしかつくれない茶」をつくること。
茶商として、産地・製法・価格など要望に沿った茶を用意するだけでなく、自らが“本当に美味しい”となる自信の茶を追求し提示する、それが茶通亭のスタイルであり、受け継がれてきた信条。それは、茶取引の中心である静岡市内から離れた地理的に不利な沼津という地で、存在価値を示し生きていく為に必要なことでもある。茶の品質の見極め、継承される仕上げ・合組技術、信頼を寄せる茶生産家たちとの協力体制、これらを発展させ、今できる最高のお茶を産み出すことに日々全力を注いでいる。